旅の記録2

8月5日
列車でコペンハーゲンへ。
列車がそのままフェリーに乗っていました。
フェリーの中でデンマーク人の青年が話しかけてくれて色々と教えてくれました。
コペンハーゲンで人魚姫を見学。
夕食を食べに入った店(日本料理の店ではありません)で日本人が料理を作っていたので、その人に色々と教えてもらいました。
ホテル・Adlonに宿泊

8月6日
スウェーデンに入ろうとしましたが、列車が全席指定でチケットが取れず1日延期。
コペンハーゲンの街をブラブラ。
再度、人魚姫を見学。
裏通りにあるレストランに入ったら、「日本人だ」と珍しがられました。
同じホテルに宿泊。

8月7日
スウェーデンのネシオ(ストックホルムの少し南にある街)へ。
観光案内所のお嬢さんがとても綺麗な人だったのを覚えています。
昼食に中華料理を食べましたが、量が滅茶苦茶多いのにはビックリ。
ホテル・Margaretaに宿泊。

8月9日
ストックホルムへ。
夕方発の寝台列車でノルウェーのナルヴィクへ。

8月10日
ナルヴィクに到着。
フィヨルドを見学。
ホテル・Victoriaに宿泊。

8月11日
スウェーデンのボーデンという街へ。
フィンランドに入ろうとしましたが、既に列車がなくここで一泊。
駅前のホテルに何とか宿泊。

8月12日
フィンランドのオウルという街へ。
列車が白樺林の中を走っているとき、シベリウスの「クレルボ交響曲」が頭の中を流れていました。
オウルで親切にしてくれたおじさんと一緒に夕食を食べました。
片言の英語で何とか話をしました。
宿泊したホテルが判りません。

8月13日
ミッケリという街へ。
体調を崩し何もできず。
ホテル・Kalevaに宿泊。

8月14日
ヘルシンキへ。
シベリウス公園を見学。
ホテル・Academicaに宿泊。

8月15日
ヤルヴェンパーに行きシベリウスの資料館(アイノラ:アイノの家)を見学。
アイノはシベリウスの妻の名前です。
昼食をとるために入ったレストランで、おじいさんから「ヤパニ ブラボー」と歓迎されました。
そして「東郷ビール」のことを教えてもらいました。
夕方発の船(シリア・ライン)でストックホルムへ。
疲れていたので特別船室を使用。
船の中のレストランで同席したおじさんと会話。
シベリウスが好きでフィンランドに来たことを伝えると、喜んで「フィンランディア」のメロディーを歌ってくれました。

8月16日
ストックホルムに到着。
王宮を見学。
ここで二人の女の子(10歳と12歳)とお話。
なかなか言葉が通じませんでしたが、自分の頭を指差してドイツ語でシュヴァルツ(黒い)と言ったら、12歳の子がスウォルト(スウェーデン語で黒い)と応えてくれてやっと話が始まりました。
お母さんが来てドイツ語が話せるというので、ドイツ語で少し話をしました。
夕方発の寝台列車でハンブルクへ。
パスポートを車掌さんに渡して就寝。

8月17日
朝、ハンブルクに到着。
再び研究していた詩人・作家シュトルムの生まれた街フーズムへ。
資料館にもう一度行ったところ、資料館の人に「先日来たでしょ。」と言われ無料で見学させてもらいました。
ホテル・zur grauen Stadt am Meer(海辺なる灰色の町:シュトルムの詩)に宿泊。

8月18日
インターシティー「テオドーア・シュトルム号」でボンへ。
ボンは当時の西ドイツの首都です。
ベートーベン(ドイツ語ではベートホーフェン)の生地でもあります。
ホテル・Kurfuerstenhofに宿泊。

8月19日
特にやることもなかったので、ライン下りを。
ライン河の岸に日本語で「ライン」と書かれていました。
同じホテルに宿泊。

8月20日
ケルンへ。
大聖堂を見学。
ホテル・Sternに宿泊。

8月21日
インターシティー「レンブラント号」でアムステルダムへ。
アムステルダムの街をブラブラ。運河を見学しました。
ホテル・Lancasterに宿泊。

8月22日
インターシティーでパリへ。
残念ながらベルギーは通過しただけでした。
ホテル・Arcadeに宿泊。

8月23日
シャルル・ドゴール空港から日本へ向けて出発。


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